文明と呼ばれる全ての物事は、遥か昔に類人猿から袂を別つ勇気を振り絞った一人(一匹!?)が、並はずれた好奇心と探究心と向上心を持って踏み出した、一歩の成果の積み重ねであることに間違いはない。
それを光明と見るか宿痾と見るかに意味は無い。過ちを正し進むべき方向を考える事に意義はあっても、その全てを否定することは既に不可能だから…。
気の遠くなるような長い時間を掛けた探究心が、恒常的に「空を飛ぶ」こととして実を結んだのは、18世紀以降のジョージ・ケイリー、オットー・リリエンタール、ライト兄弟によってたどり着いた20世紀初頭1903年12月17日の事だ。その後わずか100年余の時間で身近な市井にまで広がった「空を飛ぶ」ことが、この国では深刻な衰退に脅かされている。
産業を経済原理によってのみ成り立つと考えるのは、現代社会の犯した大きな誤りの一つだ。何のために作るのかと思う心が切実でなければ、モノやサービスを作る事にそもそも意味は無い。
この国に極めて重要な「航空宇宙産業」を停滞させない為には、雲や鳥を羨望の眼差しで見上げた遠い祖先の志を受け継ぐためにも、空への想いを下支えする文化としての「スポーツ航空」底辺拡大が今こそ必要だ。
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