「車」との付き合い方について、一般的ではないと思う私の「こだわり」。
車に限らず、コンピューター:人工知能(AI)との付き合い方が、単なる利便性向上のみならず、人間としての生き方に影響を及ぼす時代になっている事を、今更ながらに感じています。
それは、全ての人達にとって、意識するか否かに関わらずです。
駐車場へは、基本的に頭から入れます。私の方法が正しいと主張するつもりはありませんが、後進で入れる為の、煩雑な操作と無駄な時間を我慢したくありません。
これは蛇足(…笑)「AI」とは関係ない、どうでも良い話ですが、1割程度は同志も存在するようなので…。
ナビゲーション画面の地図表示は、必ず北を上にします。目的地への経路も、コンピューターの指示を盲目的にトレースすることはありません。鳥瞰視点で客観的な自車位置を判読し、最適経路を判断します。
所謂・ヘディングアップ:進行方向を上には表示しません。(これを、脳内で客観位置に変換できるかな、知らない土地で…?)
今や軽自動車にも標準装備されている「安全運転支援システム」を多用します。特にACC(アダプティブ・クルーズコントロール)は郊外路に於いて絶大な疲労軽減効果をもたらしてくれます。
また、ナビに直結したケア・システムは、走行の全般を記録してくれるので、工夫次第で利用価値は小さくありませんが、その裏に潜むある種の危険性を認識する必要があります。
巨大組織が収集するビッグ・データを基礎にした「アルゴリズム」が、「人間至上主義:ヒューマニズム」を凌駕する時代の入り口に、立たされているのかもしれません。
何時の時代に於いても、経験則のみに固執した判断:思考が役に立たない局面は、必ず現れます。特に人類が生物学的:革新に遭遇する極めて稀な時代に、未来を恐れず立ち向かう為にまず必要なのは、自己を失うことなく無知を自覚し、新たな知見に謙虚になることです。
昔話と自慢話しかできない老人(と、その予備軍)が多数を占めた時、それはこの文明が滅びる時かもしれません。(否…それはもう始まっているかも…?)
全ての研究者:探究者に幸多かれ、と祈る。
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