写真は2018年、東京:芝の「増上寺」から見た東京の空。
高村幸太郎が「智恵子抄」を詠んだ昭和3年(1928年)には、東京タワーも無く、高度経済成長で汚染された空ではなかったと思う。「阿多多羅山の上に毎日出てゐる青い空」に、いったい智恵子は何を見ていたのだろう?
北の山奥に移り住んで30余年。 20年間過ごした東京を思い返すと、そこには「冬」が無かった…。秋のカラッ風が厳しさを増しても、実感は夏が遠のいてゆくだけ…。突然10㎝の雪でも降れば、それは「冬」ではなく「事件」だった。
紅葉が色づき雪虫が舞う北国の10月は、やるべき事が山積、紛れもなく「冬」到来の警報が鳴り響く季節です。
「アカゲラ」の餌場となり、いまにも枯れそうな庭木を伐採、もちろん行き先は薪の棚…。
修理から戻ったストーブを工房に据え、冬の主役:ホンダ・スノーラを試運転、愛車の冬靴を準備する。
真冬には落雪に埋もれる窓に、雪囲いを設置。北海道民なら当たり前の年中行事ですが、幾人かの友人は逃げるように、都市部のタワーマンションに住まいを替えた。
「ほんとの空が見たい…」と言った千恵子のように、そこで「本当の冬が見たい…」と、自分なら言うだろうか?
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