前回、MU-2 を大好きな飛行機と書きましたが、私の技能証明では操縦できません。
昭和47年の初ソロ以来、サンデーパイロットの末席を汚した私の飛行時間中:最も長く付き合ってくれた「FA-200・エアロスバル」が、最も愛着を感じる飛行機です。
「FA-200・エアロスバル」は、中島飛行機をルーツに持つ「富士重工」(現在のスバル)が開発し、1965年に初飛行、4座ながらA類(曲技飛行が可能)の耐空証明を持つ、ユニークな機体です。日本で量産された唯一の軽飛行機でしたが、1986年に299機をもって生産終了しました。
富士重工は、エアロスバルの後継に双発のFA-300を開発し、結局失敗に終わっています。ここでも、より幅広いユーザーに向けた機体開発:底辺拡大に目を向けられることは無く、「文化としてのスポーツ航空」を日本に根付かせるチャンスの一つが失われました。(私の感想ですけど…!?)
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