耳に残る古参パイロット(あの戦争で紫電改に乗っていた「SKさん」)のパラドックス的名言:正確には「最悪を想定し、楽観的に飛ぶ…!」「悲観的にならず、勇気をもって最後まで絶対に諦めない…!」ですが、今でも忘れない顕著な「実地体験」があります。
私のCABチェック前年(1977年)の夏、全日空のYS-11 が欠航して、八丈島に取り残された社長の「迎えに来い!!」の一言に応え、会社の訓練機・FA-200で調布を飛び立ちました。
勿論、PIC(機長)はベテランのO教官ですが、悪天候下の往復:4時間フライトに(人力)オート・パイロット役として、私が指名されました。訓練フライトではないのでログ記載もありませんが、間違いを恐れず鮮烈な記憶に任せて書き残す事にします。
往路は、相模湾に出た途端シーリング(雲底)が2,000ft以下になり雲の下を選択、1,000ft以下の海面を這って三宅島に針路を向けました。完全な雨中飛行で水平線も霞み、指示された高度と針路の維持に努めるのが精いっぱいでしたが、眼前に突如として大きな黒い影が広がるのに驚き、慌てて左旋回すると、教官は「大丈夫!三宅島だよ」と冷静な一言…!
三宅島のTopは、完全に雲の中…。
海面を這う緊張感120%の雨中飛行の末、無事に八丈島空港に着陸。直ちに社長を後席に押し込み!?~実際、調布着陸まで高鼾で横になっていた社長(元:予科練)の胆力も、今にして思えば見上げたものです。
空港周辺の景色も記憶に無いほどの短い滞在時間で、調布に向けて離陸。
復路は、流石の教官も雨中飛行に疲れたようで、「上を行こう…」と厚い層雲のOn Topを選択。(多分、10,000ft程度かな…?)しかし三宅島の手前付近に立ちはだかる積雲(CBに発達中かも…)はFA-200では越せないと判断、薄い処を狙い、伊豆大島VORを目指す雲中飛行となりました。
その間も自分は、高度と針路を維持する「人力:オートパイロット」に専念し、冷や汗で背中を濡らしていましたが、大島到着5分程前、徐々に上がっていたシーリングの隙間に三原山の真っ黒な山頂が見えた時、やっと肩の力が抜けたのを憶えています。
そこからは見慣れた地形を辿り、無事に調布に帰着。
今にして思えば、YSが欠航するほどの悪天候に、単発の訓練機で飛ぶことの無謀さに呆れますが、最悪を想定できる教官の冷静さが無ければ、パニックに陥るような状況だったと振り返っています。
そんな極限を潜り抜けた体験は、長い年月を隔てた今も、限界集落で生き抜くうえで必要な「礎」となって、心の奥底に残っているような気がします。
「最悪を想定し、楽観的に生きる…」が、「ストレス:フリー」の極意だと思いませんか…?
地形図:Google Earth
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