オロロンラインをひたすら南下、ホームベースを目指す。
ノシャップ岬では、朝靄から頭だけを出していた利尻富士も…。
サロベツ原野を「ユークル(夕来)パーキング」迄走ると、その荒々しく神々しい姿が、水平線に浮かぶ。
あの頂に立ったのは、もう半世紀以上も前の夏休み…。友人と二人、稚内まで自転車で走り、フェリーで渡った日の深夜に海抜ゼロから登り始める。孤高の1,721mは無鉄砲な高校生を嘲笑い、日の出は登頂を待ってくれなかった。
ここからオトンルイ:風車群までは、サロベツ原野と日本海に挟まれ、道路以外の人工物が殆ど見えない。道外から北海道らしさを求めて来た、多くの一人旅:ライダー・ドライバーは、晴れ上がった空の下、壮大な景観を独り占めする爽快感を満喫してる…のだろうと思う。 日常では得られない解放感の実感は、容易に想像できる。しかし、それとは別の曖昧な感慨が、一人で出かける度に、頭の何処かにまとわりついてくる。それは歳の所為か…それとも?
例えて平たく言えば、誰もが絶賛する「世界の美味」を一人で食べる、空虚な感じにも似ている。圧倒的な寂しさに包まれながら、求めた筈の「自由な解放感」とは違う、何故か安堵に近い感覚…。
思考過程を羅列することに意味はないし、別の意見:分析:情報に接して思い直すかもしれないが…とりあえず辿り着いた結論を書き留めておこうと思う。
安全で快適な日常で無自覚に纏ってしまう、うわべの優しさや形だけの親切心を脱ぎ捨て、寂しさ・悲しさ・恐怖・不安…を求めて、人は一人になるのかもしれない。一人旅に出るのかもしれない。
生物としての本能を呼び覚まし、自分の愚かさと無力さに向き合う為に…。自力の傲慢さを知り、「他力本願」の真意を知る為に…。そこで得られるモノこそ、本当のモノかもしれないから…。
回り道や寄り道、ガス欠寸前の携行缶給油の末に走った往路430㎞に比べ、ミルトマップを一目散に目指した復路は、僅か300㎞だった。
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